カバー画像:タコスッポンタケ(Clathrus archeri)WIKIMEDIA COMMONS – File:Clathrus archeri – Vosges France.jpg(fr:Utilisateur:Bouba)
花のように見えるものを訪ね、腐敗物のにおいを追い、異性を探す。昆虫やそのほかの節足動物は、目や触角などから受け取る手掛かりを頼りに、食べ物、産卵場所、交尾相手を見つけています。
では、本物の花でも腐肉でもない菌類が、その手掛かりの一部をつくり出したら、彼らはどうするのでしょうか。
菌類は自ら移動して、昆虫を追いかけることはできません。しかし胞子を遠くへ運んだり、新しい宿主へ感染したりするには、動き回る動物の力を借りているものは存在します。
花のような構造をつくる菌、腐敗物を思わせるにおいを出すキノコ、死んだハエへ雄を近づける寄生菌、感染したアリの行動変化に関わる菌まで知られています。「だます」「操る」という言葉は、こうした関係を説明するには便利です。
ミミズク先生ただし、菌類が作戦を立てて昆虫を欺いているわけではありません。昆虫の感覚や行動と結び付き、菌の繁殖や感染に有利になる性質が、進化のなかで残ってきた結果です。
本物そっくりでなければ、生き物を「だます」ことはできないのでしょうか。まずはじめに、2026年に発表された偽花の研究から、その問いを追ってみましょう。


花になり、腐敗物になり――虫を呼び寄せる菌類
菌類が利用するのは、昆虫が日常的に使っている感覚です。花そのものにならなくても、腐肉そのものにならなくても、「ここには何かありそうだ」と動物が近づく手掛かりの一部がそろえば、訪問につながる場合があります。
花を咲かせたのは、植物ではなく菌だった


出典:iNaturalist – Fusarium xyrophilum(jackjohnsonn)
南アメリカ北東部のガイアナに生えるホシクサ科の植物、Xyris surinamensis には、ときどき奇妙な黄色い構造が現れます。植物の茎の先、本来なら花が咲く位置にできるため、遠目には小さな花のように見えます。
ところが、その黄色い部分は植物の花弁ではありません。葉が変形したものでもありません。Fusarium xyrophilum という菌がつくった、菌組織だけからなる構造です。
この菌は2019年12月にオンラインで新種として発表され、2020年に学術誌 Mycologia に正式掲載されました。菌がつくる花のような構造は、研究では偽花、英語で pseudoflower と呼ばれます。
なお、菌類のからだをつくる細い管状の構造を菌糸といいます。多数の菌糸が集まったものは菌糸体です。土や朽ち木の中に白く広がって見える部分は、多くの場合、この菌糸体です。
偽花が現れた Xyris の株では、本物の花がほとんどつくられなくなります。菌は宿主植物へ広く感染し、その生殖を抑えながら、自らの繁殖に関わる構造を花の位置につくらせていると考えられています。偽花は変形した植物の葉ではなく、菌の組織そのものです。


出典:iNaturalist – Xyris surinamensis(peterzika)
2026年には、野外で本物の花と偽花を観察し、どのような節足動物が訪れるかを調べた研究が発表されました。花と偽花には、スズメバチ科、アリ科、ハエトリグモ科、バッタ科、ヒシバッタ科など、さまざまな節足動物が訪れていました。
本物の花と偽花の両方を訪れた節足動物もいました。記録されたのは、キリギリス類、オオアリ類、シャクガ類などです。この結果は、偽花が花を訪れる節足動物と接触する機会をもつことを示しています。
研究者たちは、花や偽花を訪れた節足動物を捕獲し、体に Fusarium xyrophilum のDNAが付いているかをPCRで調べました。PCRは、調べたいDNAの一部を増やし、ごく少ない量でも見つけやすくする方法です。
捕獲された節足動物の体から菌のDNAが検出されたことは、偽花を訪れた動物の体に菌由来のものが付着し、別の場所へ運ばれる可能性があることを示します。
ただし、この結果だけで、節足動物が別の植物まで菌を運び、そこで新たな感染を成立させたとは言えません。偽花への訪問、節足動物の体への付着、移動先での到達、そして新しい宿主への感染は、それぞれ別に確かめる必要があります。
そっくりでなくても、虫は来る――「花らしい手掛かり」を使う


出典:iNaturalist – Fusarium xyrophilum(jackjohnsonn)
偽花の面白さは、本物の花を完璧に複製しているとは限らない点です。偽花は、花弁の細部まで同じではありません。訪問者も、典型的な送粉昆虫だけではありませんでした。なかには、花や偽花をかじる節足動物も見られています。
研究者たちは、本物の Xyris の花と偽花から空気中へ出る揮発性物質も調べました。



揮発性物質とは、常温でも空気中へ広がりやすく、においの情報になる化学物質です。
本物の花と偽花から出るにおいを比べると、多くの揮発性物質が共通していました。揮発性物質とは、空気中に広がりやすく、においの情報になる化学物質です。
ただし、偽花と菌を育てた培養物からは、本物の花では見つからなかった成分も検出されました。その一つが、α-グルジュネンと推定されたセスキテルペンです。セスキテルペンは、植物や菌類がつくるにおい成分の一群で、花の香り、葉のにおい、樹脂の香りに関わるものもあります。
とはいえ、α-グルジュネンを含むこれらの成分が、どの節足動物に働き、近づく・とどまる・食べるといったどの行動に影響するのかは、まだ分かっていません。一つ一つの成分を分けて調べる実験が必要です。
この研究で重視された考え方が、感覚バイアス※です。感覚バイアスとは、生き物がもともと特定の色、形、においなどに反応しやすい傾向を指します。花を探す節足動物は、一つ一つを植物学的に見分けてから近づくわけではありません。色、位置、形、においなど、餌になりそうな花を見つける手掛かりを利用して動きます。
Fusarium xyrophilum の偽花は、本物の花への精巧な擬態というより、花らしい情報に反応しやすい節足動物の感覚的傾向を利用している可能性があります。研究者たちも、完全な擬態より、汎用的な節足動物の既存の感覚バイアスを利用する可能性を重視しています。
ここで、「なりすます」という言葉の意味が少し変わります。相手を完全に見間違えさせる必要はないのかもしれません。重要なのは、相手が何を手掛かりに行動するかです。
生き物が、特定の色・形・におい・動きに反応しやすい傾向です。学習によって身につく反応だけでなく、生まれつきの神経系の性質も含みます。ただし、節足動物の反応は空腹、経験、周囲の環境、ほかのにおいなどによって変わります。「この色なら必ず近づく」という単純な仕組みではありません。



本物の花を完璧にコピーしなくても、花らしいと受け取る手掛かりさえそろえば、対象の動物が近づくことがあるのですね~!
腐敗物のにおいで虫を呼ぶ――スッポンタケ類とグレバ


出典:iNaturalist – コガネキヌガサタケ Phallus cinnabarinus(michel405)
今度は、森の地面へ目を移してみましょう。落ち葉の間から奇妙なキノコが伸び、その周囲に強いにおいが漂っています。腐った肉や糞を思わせるにおいに、近づく前から気づくこともあります。スッポンタケ科を中心とする菌類、英語でいう stinkhorns の仲間です。
ここでは、スッポンタケやキヌガサタケなど、スッポンタケ科を中心とする仲間をスッポンタケ類と呼びます。これらの仲間では、子実体の一部にグレバ※と呼ばれる粘液状の部分ができます。
子実体とは、私たちが日常的に「キノコ」と呼ぶ、菌類が胞子をつくるための構造です。植物の花や果実にたとえられることがありますが、つくりも生活史も植物とは異なります。
スッポンタケ類の子実体の先端などにつく、胞子を含む粘液状の部分です。においを放ち、昆虫が食べたり体に付けたりします。胞子は、体表に付いたまま運ばれる場合と、食べられて消化管を通り、排泄物とともに運ばれる場合がありえます。どちらが主な経路かは、菌の種類、来る昆虫、場所、季節などによって変わると考えられています。
グレバには胞子が多く含まれます。そこへハエや甲虫などが訪れ、粘液を食べたり、脚や体表に付着させたりします。昆虫がその場を離れれば、胞子も一緒に移動できます。食べられた胞子が消化管を通り、排泄物とともに運ばれる可能性もあります。
昆虫を引き寄せる大きな手掛かりの一つが、においです。2010年には、赤い触手のような子実体をもつタコスッポンタケ、Clathrus archeri と、腐敗臭でハエを呼ぶ被子植物の花について、揮発性物質が比較されました。研究では、腐肉、ネズミの死骸、ウマとイヌの糞も比較対象に使われています。



腐敗物を思わせるにおいでハエを呼ぶ花には、コンニャク属、ラフレシア属、スタペリア属などが知られています。腐肉や糞を探すハエを、花粉の運び手として利用する植物です。
その結果、タコスッポンタケと腐肉花の両方から、腐肉に特徴的な硫黄化合物群であるオリゴスルフィド類、糞に特徴的なフェノール、インドール、p-クレゾールなどが検出されました。


出典:iNaturalist – Clathrus archeri(nschwab)
ここで「腐肉の偽物」と呼ぶなら、見た目が動物の死体そっくりという意味ではありません。重要なのは、腐敗した有機物を探す昆虫が利用する化学的な手掛かりです。腐肉や糞は、一部のハエにとって食物であり、幼虫を育てる産卵場所にもなります。人には不快なにおいでも、昆虫には「調べる価値のある場所」を示す情報になりえます。
もちろん、菌類が腐敗物になろうとしているわけではありません。腐敗物を探す昆虫の行動と結び付くにおいをもつ子実体が、胞子散布に有利だった結果と考えられます。
植物にも、腐った肉のようなにおいでハエなどを呼び、花粉を運ばせる腐肉花があります。植物では花粉、スッポンタケ類では胞子と、運ばせるものは異なります。それでも、腐敗物を探す昆虫の感覚を利用する点で、両者は似た方向へ進化しています。系統の遠い生物群が、似た環境条件や働きに対して似た特徴を独立に進化させる現象を、収斂進化といいます。
なお、キヌガサタケの白いレース状の網、インデュシウムが何のためにあるかは、まだ確定していません。においに反応しにくい昆虫を視覚的に引き寄せる、グレバへ上る足場になる、といった仮説があります。しかし、決着した説明ではありません。
よく来る虫が、いちばん胞子を運ぶとは限らない


出典:iNaturalist – Phallus indusiatus(shellfishgen)
キノコへたくさん訪れる昆虫ほど、胞子散布にも大きく関わるのでしょうか。話はそれほど単純ではありません。
2024年、ブラジル・アマゾンで、キヌガサタケの仲間として扱われた Phallus indusiatus s.l. の胞子散布が調べられました。



s.l. は sensu lato の略で、「広い意味で」という意味です。一つの厳密な種だけでなく、近縁なものを含むまとまりとして扱うときに使われます。
この調査では、六つの子実体に合計333個体の昆虫が記録されました。訪問数が多かったのは甲虫類でした。しかし、調べられたハリナシバチ類※からは、体表に8,300万個以上、胃内を含む消化管内に6,000万個以上の胞子が報告された例がありました。
一方、調査対象の甲虫では、体表に約18万9,000個、消化管内に約3万9,000個という推定値が示されています。数値の大きさそのものに驚かされますが、これらは調査で得られた事例です。すべてのハチや甲虫にそのまま当てはまる平均値ではありません。
この調査では、糞を通る経路より、訪問昆虫の体表に付いた胞子が運ばれる経路のほうが重要だと結論づけられました。ただし、ほかのスッポンタケ類や訪問昆虫でも同じとは限りません。
この研究が教えてくれるのは、訪問者を数えることと、散布への寄与を測ることは別だという点です。どのくらい長くグレバにとどまるのか。体のどこにどれほど胞子が付くのか。食べた胞子がどう運ばれるのか。さらに、どこまで移動するのか。胞子散布は、複数の条件で決まります。


出典:iNaturalist – Trigona crassipes(rvgalli)
熱帯・亜熱帯を中心に分布する、針をもたないミツバチ科の仲間です。花の蜜や花粉を利用します。今回の研究では、調べられたハリナシバチ類の一部が長くグレバを利用し、多量の胞子が検出されました。ただし、これだけでハリナシバチがあらゆるスッポンタケ類の主要な散布者だとは言えません。



スッポンタケを見つけたら、子実体の形だけで終わらせず、少し離れて周りも見てください。グレバのどこに、どんな虫が止まるか。数分待つだけで、胞子の運び手が見えてくるかもしれません。


近づいた虫の行動まで利用する――ハエカビとゾンビアリ菌


出典:iNaturalist – 種群 Entomophthora muscae(happywonderer)
前の章は、まだ感染していない昆虫を近づける話でした。この章では、近づいた昆虫が何をするか、そして感染した昆虫自身の行動が変わるときに、体内で何が起きているかを見ていきます。
死んだ雌に雄が近づく――ハエカビが変える化学的手掛かり


出典:iNaturalist – イエバエ Musca domestica(alfredoeloisa)
ハエカビの仲間、Entomophthora muscae は、イエバエ Musca domestica に感染します。感染したハエは最終的に死亡し、死体から胞子が放出されます。2022年の研究では、感染して死んだ雌イエバエと、健康な雄イエバエの関係が詳しく調べられました。
感染した雌の死体では、体表を覆う炭化水素などの化学的組成が変わっていました。さらに、菌に感染した死体からは、セスキテルペン類を主とする、通常の死体にはない揮発性物質の混合が検出されました。
健康な雄は、感染した雌の死体に近づき、交尾を試みました。実験では、胞子を放出する後期段階の雌の死体に対し、雄の交尾試行が多くなりました。また、こうした死体に接触した雄では、感染が成立する割合も高くなりました。
この現象は、菌が雄を「恋に落とす」といった単純な話ではありません。
雄は、死んだ雌の何に反応するのか
雄が雌を見つけ、近づき、交尾を試みるまでには、目で見える姿だけでなく、空気中のにおいや、体表に触れたときの情報も関わります。体表を覆うろう状の物質である体表炭化水素は、その接触時の情報の一つです。
水分が体から失われるのを抑える働きに加え、種や性別、繁殖状態を見分ける化学信号にも関わります。感染した雌の死体では、この体表炭化水素の組成が変化していました。
一方、感染死体から検出されたセスキテルペン類を主とする揮発性物質は、雄が少し離れた場所から死体へ反応する過程に関わる可能性があります。ただし、「このにおいが雄を呼び、この体表成分が交尾行動を起こす」という役割分担までは、まだ確定していません。



同じように虫を利用する菌でも、働きかける手掛かりは違います。スッポンタケは匂いで虫を呼びます。ハエカビでは、近づいた雄の行動が感染につながります。では、感染した虫自身の行動が変わるとき、体の中では何が起きているのでしょうか。
アリは植物を噛んだまま死ぬ――ゾンビアリ菌で確認されている現象


出典:iNaturalist – Ophiocordyceps unilateralis(brayancoraljaramillo)
「ゾンビアリ菌」と呼ばれる菌には、Ophiocordyceps unilateralis s.l. を中心とする近縁種が含まれます。s.l. は「広い意味で」の略で、単一の種だけでなく、複数の近縁種を含む種複合体として扱う表記です。



「ゾンビアリ菌」は理解しやすい通称ですが、単一の正式な種名ではありません。
ゾンビアリ菌のいくつかの研究系では、感染したアリが巣を離れて植物上へ移動し、葉脈や小枝などを大顎で噛んだまま死ぬ行動が知られています。死後には、アリの体から菌の繁殖構造が伸び、胞子が放出されます。
2011年、タイの熱帯林で行われた研究では、感染したオオアリの一種 Camponotus leonardi が、葉の裏側の葉脈を大顎で噛んだまま死ぬ現象が記録されました。観察された16個体の最終的な噛みつきは、現地時間の正午付近に集中しました。


出典:AntWiki‐Zryanin Camponotus leonardi.jpg(Lubertazzi)
ただし、この時刻をゾンビアリ菌全体の決まりと考えてはいけません。行動変化の時刻は、菌とアリの組み合わせ、光、温度、湿度などの環境条件によって異なる可能性があります。
別の研究では、時刻は異なっても同じ現象がそろって見られる例も報告されており、菌と宿主の概日時計、つまり約24時間の周期で活動や代謝を調整する仕組みがどう関わるかが研究されています。
ここで確実に言えるのは、感染したアリに、健康なアリには見られない特徴的な移動や噛みつきが見られることです。「菌がアリに高い場所へ登れと命令する」といった説明は、現時点の研究結果を単純化しすぎます。
ところが、脳の中に菌細胞は見つからない
行動がこれほど変わるのなら、菌がアリの脳を占拠して操縦しているのではないか。そう考えたくなるのは自然です。実際、「ゾンビアリ菌が脳を乗っ取る」という説明は広く知られるようになりました。
2017年の研究は、そのイメージを大きく修正しました。研究者たちは、感染したアリの体内で菌がどこにいるかを、連続ブロック面走査電子顕微鏡法と深層学習を使って立体的に調べました。
この方法では、樹脂に包埋した試料の表面を電子顕微鏡の内部で少しずつ削り、そのたびに表面を撮影します。何百枚、何千枚もの画像を積み重ね、深層学習で菌細胞とアリの組織を見分けることで、体内の構造を三次元的に再構成できます。
対象は、北アメリカのオオアリ Camponotus castaneus と、それに寄生する Ophiocordyceps kimflemingiae の組み合わせでした。菌細胞はアリの体内の広い範囲に見られ、とくに大顎を動かす筋肉の周囲で密なネットワークをつくっていました。一部の菌細胞は、筋線維の内部にも入り込んでいました。


出典:iNaturalist – Ophiocordyceps kimflemingiae(roundabout1812)
一方、少なくとも調べられた行動操作の段階では、脳の組織内に菌細胞は確認されませんでした。
行動は大きく変わる。
それでも、少なくともこの研究で調べられた段階では、菌細胞が脳を物理的に占拠していたわけではありません。
この結果は、「菌が脳へ入り込み、神経を直接操縦する」という単純な説明を支持しにくくしました。
ただし、これを「脳は無関係だ」と読み替えてはいけません。2019年の研究では、感染アリの脳は構造が比較的保たれている一方、代謝物の組成が変化していることが報告されています。脳の中に菌細胞がないことと、脳や神経系が影響を受けていないことは、別の話です。
Ophiocordyceps に感染したアリの体内では、菌の細胞どうしが結合し、筋肉の周囲にネットワークのような構造をつくることがあります。研究ごとに観察する感染段階や細胞の状態が異なるため、本文では「菌糸」ではなく、広く「菌細胞」と呼びます。



脳に菌の細胞が見つからなかったからといって、筋肉だけが答えだとは限りません。神経、筋肉、菌が出す物質、体内時計がどう重なるのか。その問を、いま研究者たちが追っています。
大顎筋は過収縮する――では、何が行動を変えているのか
では、アリが葉脈や枝を噛んだまま固定されるとき、大顎を動かす筋肉では何が起きているのでしょうか。
2011年の研究では、死の噛みつきの段階にあるアリの大顎筋に萎縮が見られると報告されました。しかし2019年の研究は、この説明を修正しました。電子顕微鏡で詳しく調べると、大顎筋には過収縮と呼ばれる状態が見られたのです。
筋肉は、細いタンパク質の繊維が互いに滑り込むことで縮み、力を出します。過収縮とは、その収縮が強く進み、筋肉の構造に異常が見られる状態です。研究では、筋肉の収縮単位であるサルコメアが短くなり、境目にあるZ線が腫れたり乱れたりしていました。
興味深いことに、感染した大顎筋は、ただ壊れて動かなくなったわけではありません。筋肉へ収縮の指令を送る運動ニューロンと、神経から筋肉へ信号を渡す神経筋接合部は、観察された範囲では保たれていました。
菌細胞は筋肉の周囲に広がり、一部は筋線維へ入り込んでいました。また、菌細胞に付随する細胞外小胞のような粒子も観察されました。細胞外小胞とは、細胞から出る微小な袋状の構造で、タンパク質や脂質などを運び、細胞間の情報伝達に関わることがあります。
しかし、この粒子が菌由来なのか、何を運ぶのか、筋肉の収縮にどのように関わるのかは確定していません。
単純な「筋肉を壊して固める」という説明では不十分です。神経が残った状態で筋肉は過収縮しています。菌が出す物質が、神経と筋肉のどちらへ、どの順序で働きかけるのか。さらに、感染したアリが移動し、最終的に噛みつくまでの行動とどう結び付くのか。その一本の経路は、まだ分かっていません。
2024年の総説は、菌が分泌するタンパク質や代謝物、宿主の神経・筋肉の状態、明暗周期に同調する菌と宿主の生物時計を、有力な研究課題として整理しています。
ここから「菌がアリの時計をハックしている」と言い切るのは早すぎます。分かっているのは、行動の時刻に偏りが見られる系があり、菌とアリの双方に時間を測る仕組みがあることです。それらがどのようにつながるのかは、現在も研究が続いています。
「ゾンビアリ菌」は一種類ではない――分類が見せる関係の細かさ


出典:iNaturalist – ゾウムシタケ Ophiocordyceps curculionum(victormozqueda)
※ゾウムシに寄生するOphiocordyceps の仲間
Ophiocordyceps unilateralis s.l. は、複数の近縁種を含む種複合体です。アリに寄生する Ophiocordyceps の仲間では、今も新種の記載や種の境界の見直しが続いています。
この分類上の細かさは、菌が「アリ一般」を相手にしているわけではないことを示します。2014年の研究では、ある Ophiocordyceps を四種のアリへ感染させました。ただし、そのうち Formica dolosa は注射の影響が大きく、行動を比較する解析から外されました。
残るオオアリ属三種では、感染後にすべて死亡が見られました。しかし、自然界でも宿主として知られていた二種でしか、特徴的な噛みつき行動は再現されませんでした。
同じ研究では、菌がアリの種類によって異なる代謝物の組み合わせを示すことも報告されています。ただし、候補となった物質をアリへ単独あるいは組み合わせて与えても、感染時のような行動を再現できませんでした。つまり、特定の分子一つが「操縦レバー」になっているわけではなさそうです。
菌とアリの関係には、地域や系統ごとの細かな違いがあります。ただし、「一種のアリに一種の菌」という厳密な法則があるわけではありません。新しい宿主記録や新種の報告も続いています。分類を知ることは、ゾンビアリ菌を一種類の怪物のように扱わず、多様な菌類と宿主アリの関係として見ることにつながります。


そっくりになるだけが、なりすましではない


出典:iNaturalist – Microbotryum violaceum(alex_kuhn)
※雄しべの葯で、花粉の代わりに胞子をつくる葯黒穂病菌
偽花、スッポンタケ類、ハエカビ、ゾンビアリ菌。四つを並べると、菌類が一つの方法で虫を利用しているわけではないことが分かります。
それでも、「虫は何を手掛かりに動くのか」という視点を置くと、それぞれの関係はつながって見えてきます。
虫は何を手掛かりに行動しているのか
| 事例 | 節足動物・昆虫が探しているもの | 菌類側の手掛かり・変化 | 菌類の繁殖に関わる結果 |
|---|---|---|---|
| Fusarium xyrophilum | 花や花に関わる資源 | 花らしい色・位置・構造・におい | 節足動物が訪れ、菌の繁殖体が移動する可能性 |
| スッポンタケ類 | 腐敗物、食物、産卵場所 | グレバと腐敗物を思わせるにおい | 胞子の体表付着や摂食後の移動 |
| Entomophthora muscae | 交尾相手 | 感染した雌の死体のにおい・体表化学の変化 | 健康な雄が接触し、胞子に触れる機会 |
| Ophiocordyceps 類 | 感染した宿主の生理・移動・接触行動 | 感染に伴う全身的な変化 | 死後に菌の繁殖構造が形成される位置での宿主死亡 |
四つの例に共通するのは、相手を完全にまねることではありません。相手が行動を決めるときに使う情報の一部に触れることです。色でも、においでも、体表の化学でも、感染に伴う体内の変化でもよい。どこかの手掛かりが変われば、節足動物や昆虫の移動・接触が、胞子散布や感染の機会につながります。
ただし、四つの例を「見る→嗅ぐ→求愛→支配」のような序列にしてはいけません。浅い、深い、単純、複雑といった上下はありません。Ophiocordyceps の例を「擬態」と呼ぶのも正確ではありません。これは何かに似せる現象ではなく、寄生に伴う宿主の行動変化です。
そして、菌に意図はありません。菌が計画を立てて虫をだましているのではなく、虫の感覚や行動と結び付いた性質をもつ菌が、結果として繁殖しやすかった。その積み重ねが、現在見られる関係です。
森でキノコを見つけたら、「誰が何をしているか」を見る


出典:iNaturalist – ニューギニアトゲアリタケ種群 種群 Ophiocordyceps myrmecophila(muinungo)
この記事で扱ったのは、遠い熱帯だけの話ではありません。スッポンタケの仲間は、日本の林や林縁でも見られることがあります。キヌガサタケは、暖かい地域の竹林などで見つかることがあります。
森でキノコを見つけたら、次の三つを見てみましょう。
- 形:胞子をどこにつける構造でしょうか。ひだがあるのか、管孔があるのか。それともスッポンタケ類のように、粘液状のグレバがあるのか。柄の途中に網目や膜はあるのか。
- 虫:何が来て、どこに止まり、何をしているでしょうか。表面を歩くだけか、なめたり食べたりしているのか。同じ種類の虫ばかりか、ハエ、甲虫、ハチなど複数の虫が来るのか。少し離れて数分待つと、見えてくることがあります。
- 場所:腐朽木の上か、落ち葉の中か、土の上か。林の縁か、林の奥か。雨のあとか、乾いた日か。キノコの姿だけでなく、周囲の環境も胞子散布の場になります。
スッポンタケ類なら、子実体に顔を近づけなくても、風下に立てばにおいに気づくことがあります。グレバには触れず、子実体を傷つけないまま観察しましょう。採集禁止の場所、保護区域、私有地では採らないことも大切です。
写真だけでは種名を断定できないキノコも少なくありません。全体、子実体の各部、周囲の環境、訪れている虫を写真に残し、日付と場所を記録しておけば、あとから図鑑や資料と照らし合わせられます。
生き物を見るとき、「これは何という名前だろう」だけでなく、誰が近づき、そこで何をしているのか。そんな問いを一つ加えると、一個のキノコの周りにも、別の生き物との関係が見えてきます。
菌類は、花や腐敗物に完全になりきる必要はありません。昆虫が食べ物、産卵場所、交尾相手を探すときに頼る手掛かりや、感染後の体内で起こる変化と結び付けば、昆虫の移動や接触が、胞子散布や感染の機会になります。



森で不思議なキノコに出会ったら、「何に似ているか」だけではなく、そのそばで何が起きているかも見てみてください。






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ブログ記事より少し踏み込んだ内容も追加されていますよ




参考・引用文献
花になり、腐敗物になり――虫を呼び寄せる菌類
- Larabaほか ‐ Fusarium xyrophilum, sp. nov., a member of the Fusarium fujikuroi species complex recovered from pseudoflowers on yellow-eyed grass Xyrisspp.Xyris spp.Xyrisspp. from Guyana(2020年1月、Mycologia 112巻1号、39–51頁)
- Larabaほか ‐ Pseudoflowers produced by Fusarium xyrophilum on yellow-eyed grass Xyrisspp.Xyris spp.Xyrisspp. in Guyana: A novel floral mimicry system?(2020年11月、Fungal Genetics and Biology 144: 103466)
- Torres-Cruzほか ‐ Fusarium xyrophilum facilitates its dispersal by exploiting sensory biases of generalist insects through pseudoflowers(オンライン公開:2026年6月9日、掲載:2026年9月、Mycologia 118巻5号、950–968頁)
- Johnson・Jürgens ‐ Convergent evolution of carrion and faecal scent mimicry in fly-pollinated angiosperm flowers and a stinkhorn fungus(2010年、South African Journal of Botany 76巻4号、796–807頁)
- Santana・Couceiro ‐ New insights on the spore dispersal of Phallus indusiatus s.l. Basidiomycota,PhallaceaeBasidiomycota, PhallaceaeBasidiomycota,Phallaceae for the Brazilian Amazon forest(2024年3月、Fungal Ecology 68: e00338)
- Cabralほか ‐ Behind the veil – exploring the diversity in Phallus indusiatus s.l. Phallomycetidae,BasidiomycotaPhallomycetidae, BasidiomycotaPhallomycetidae,Basidiomycota(2019年、MycoKeys 58、103–127頁)
近づいた虫の行動まで利用する――ハエカビとゾンビアリ菌
- Naundrupほか ‐ Pathogenic fungus uses volatiles to entice male flies into fatal matings with infected female cadavers(2022年7月13日、The ISME Journal 16巻10号、2388–2397頁)
- Hughesほか ‐ Behavioral mechanisms and morphological symptoms of zombie ants dying from fungal infection(2011年5月5日、BMC Ecology 11: 13)
- de Bekkerほか ‐ Species-specific ant brain manipulation by a specialized fungal parasite(2014年8月29日、BMC Evolutionary Biology 14: 166)
- Fredericksenほか ‐ Three-dimensional visualization and a deep-learning model reveal complex fungal parasite networks in behaviorally manipulated ants(2017年11月21日、Proceedings of the National Academy of Sciences 114巻47号、12590–12595頁)
- Loreto・Hughes ‐ The metabolic alteration and apparent preservation of the zombie ant brain(2019年10月、Journal of Insect Physiology 118: 103918)
- Mangoldほか ‐ Zombie ant death grip due to hypercontracted mandibular muscles(2019年7月17日、Journal of Experimental Biology 222巻14号: jeb200683)
- de Bekker・Das ‐ Hijacking time: How Ophiocordyceps fungi could be using ant host clocks to manipulate behavior(2022年2月、Pathogens and Immunity 7巻1号、1–10頁)
- van Roosmalen・de Bekker ‐ Mechanisms Underlying Ophiocordyceps Infection and Behavioral Manipulation of Ants: Unique or Ubiquitous?(2024年11月20日、Annual Review of Microbiology 78、429–452頁)
- de Fine Lichtほか ‐ Mechanisms behind the Madness: How Do Zombie-Making Fungal Entomopathogens Affect Host Behavior To Increase Transmission?(2021年10月、mBio 12巻5号: e01872-21)
そっくりになるだけが、なりすましではない
- Smithsonian National Museum of Natural History ‐ Fake flowers, real news: a new plant-fungus association in Guyana(更新日記載なし)
- University of Florida IFAS Extension ‐ Stinkhorn Mushrooms Agaricomycetes:Phallales:PhallaceaeAgaricomycetes: Phallales: PhallaceaeAgaricomycetes:Phallales:Phallaceae(2018年11月)

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