今日の福岡は5月の末にしては肌寒いほどの気温でした。ところが今年は室内栽培の植物が、例年以上に花を多く咲かせています。
今咲いているこのラン「Seidenfadenia mitrata」は、年中室内の窓際で管理していますが、ときどき「咲いてるな〜」と思いながら数年、今回はいつもよりたくさん花をつけています。今日は、筆者がホヤに並んで好きな植物「着生ラン」について、整理していきたいと思います。

ホヤについての過去記事はこちら:『サクララン(Hoya)が咲きました』(2025年5月)

ランの世界は沼

【Seidenfadenia mitrata】
出典:Wikipedia『Seidenfadenia』

Seidenfadenia mitrataは、ミャンマーとタイの低地に自生する魅力的な着生ランです。この種は垂れ下がる成長習性を持ち、細くて多肉質の葉が最大30センチメートルまで伸びるのが特徴的です。

デンマークの植物学者グンナー・ザイデンファーデンにちなんで命名されました。

現在のところ、Seidenfadenia属には唯一この一種のみです

筆者の管理方法は、夜お風呂にはいる時に二日に一度、浴室内に掛け、たっぷりとシャワーで水をかけておき、翌朝起きたら窓際に掛け直すだけです。ぐんぐん成長しているわけではない様子ですが、ときどき花を咲かせています。

ランは変わった種類が多い:ランの特殊な生態的適応

あまり植物にくわしくない人にとっては、ランはさすがに知っているものの、「着生ランって何?」となると思います。簡単に言うと、「樹木にくっついて生活するラン」です。

以前紹介したホヤも、基本的に着生植物です。ホヤはキョウチクトウ科の植物で、和名は「サクララン(桜蘭)」ですが、ランの仲間ではありません。

約3500万年前、多くのランが樹木に着生する生活を始めたことで、新たな生息地を開拓したと考えられています。根が露出した環境に適応するため、一部の系統では霧や雨だけで生存できるCAM光合成(ベンケイソウ型酸代謝)※を発達させ、これにより多様化速度が驚異的に増加したのです。

CAM光合成
乾燥環境に適応した植物が行う特殊な光合成方法。通常の植物は昼間に気孔を開いて二酸化炭素を取り込むが、CAM植物は夜間に気孔を開き、昼間は閉じることで水分の蒸散を最小限に抑える。夜に取り込んだ二酸化炭素をリンゴ酸として細胞内に蓄積し、昼間の光合成で利用する仕組み。サボテンやパイナップル、アロエなどが代表例で、砂漠や乾燥地帯での生存を可能にする重要な適応戦略。

これは「チート」とも言える革新的な能力でした

ラン科植物の多様性は驚異的

ラン科は単子葉植物の中で最大の科で、世界中に約28,000種が存在すると言われています。この数は哺乳類、鳥類、爬虫類を合わせた種数よりも多く、植物界における多様性の頂点に位置しています。

この数に比べたら、ホヤが「世界で200種類以上」と見積もられているのが、とても少ないと感じます

ランは寒冷地を除く地球上のほぼすべての生息地に進出を果たしたと言われ、その成功の背景には独特な繁殖戦略があります。

花粉塊という革新的な仕組み

ランの多様化を促進した最も重要な革新の一つが、花粉塊(ポリニア)の進化でした。約6400万年前以前のある時期、ランは花粉を粘着性のある塊にまとめる能力を獲得しました。これにより、送粉者が他の花に到達するまで花粉粒を失うことがなくなり、受粉効率が劇的に向上したのです。

それまでの花粉はサラサラだったんですね〜

研究によると、花粉塊を持つ系統では、持たない系統と比較して種分化速度が少し高くなっています。花が送粉者に花粉塊を付着させるための精巧な構造を進化させる過程で、特定の昆虫種の目の間に花粉塊を貼り付けるような極めて特殊化した仕組みも生まれました。

昆虫を「騙す」種類のランも??

ランのもう一つの特徴的な戦略が、「騙し」による送粉です。多くのランは実際には蜜を用意していないにもかかわらず、昆虫を引き寄せて花粉を運ばせる巧妙な手法を発達させました。

花の奥にある距(きょ)という袋状の部分は空っぽなのに、香りであたかも蜜があるかのように昆虫を誘い込むのです。

【Ophrys speculum (mirror bee orchid)】
出典:Wikipedia『Ophrys』

上のランは「カガミハチラン(鏡蜂蘭)」とも呼ばれ、鏡のようにピカピカ光って見えるそうです。

蜂の形にも似ていますね!(メスのふりをしてます)

香りによる欺瞞には主に2つのパターンがあります。

一つ目は、蜜の香りや甘い花の香りを模倣して、昆虫に「この花には蜜がある」と錯覚させる手法です。二つ目はメスの昆虫に似た形や匂いを出して、オスの昆虫に交尾行動を起こさせながら送粉させる手法です。

騙された昆虫は、蜜やメスは得られず、花粉を運ぶことになります。

このような欺瞞的送粉は、ランの種数を約半分押し上げる効果があったと推定され、多様化の重要な推進力となっています。蜜を作るエネルギーを節約しながらも確実に繁殖できるこの戦略は、ランが世界最大の植物科へと発展する原動力の一つとなったのです。

植物界の後発組だったがゆえに遂げた特殊進化

【Dendrobium speciosum】
出典:Wikipedia『デンドロビウム』

ランは植物進化史の中では比較的新しいグループで、約1億1200万年前に出現しました。白亜紀末期にはラン亜科(Orchidoideae)とエピデンドラム亜科(Epidendroideae)が分岐し、その後3790万年から3080万年前の短期間に、ランの主要な亜科や族が急速に分岐しました。

気候変動が促した急速な多様化

最新の研究では、ランの多様化には地球規模の気候変動が大きく関与していたことが明らかになっています。過去1000万年間の地球寒冷化が、陸生ランの種多様性と進化の主要な推進力となったのです。

これは、数千年にわたって徐々に進化するというダーウィンの仮説とは異なり、気候変動に応答した比較的急速な多様化が起こったことを示しています。

実はこの地球、気候変動や大量絶滅を、これまで何度も経験しています。

熱帯山岳地帯で爆発的進化!

ランには「熱帯の花」というイメージがある人も多いと思います。実際、ランは熱帯の広大な山脈地帯で爆発的な多様化を遂げています。

熱帯山岳地帯でランが爆発的に進化した理由は、急激な地形変化が多様な環境を生み出したことにあります。例えばアンデス山脈では、隆起の標高差による気温勾配、雲霧林の形成、多様な微気候が短期間で創出され、それぞれの環境に適応した種が次々と分化しました。

複雑な地形や高低差が、狭い範囲に多様な環境を作り出し、そのそれぞれの環境に対応していくことで、ランも多様化したということですね。

また、山岳地帯の着生環境は水分や栄養の制約が厳しく、ランが得意とする菌類との共生や特殊な光合成(CAM)が有利に働き、他の植物が進出困難な生態的ニッチを占有できたのです。さらに、ハチドリやラン蜂などの送粉者も同時期に種分化を加速させているので、植物と送粉者の共進化が多様化をさらに促進したと考えられています。

ランの深淵から声なき誘い

【Amesiella monticola】
出典:Wikipedia『Amesiella』

おっと、マニアックになりすぎたかもしれませんね!

植物は私たちの想像を超える驚きを、あるときふいに運んでくれます。1億年以上の進化の歴史の末、その特殊な姿に進化を遂げた着生ランが、人家の窓辺で花開くということは、まさに奇跡そのものです。

おわかりいただけるでしょうか…

筆者のSeidenfadenia mitrataは、最近になって「葉をかじられる」という被害にあったのです…

(まだらに枯れたようになっている部分がかじられたところです)

大量に豆苗を置くことでこの株はかじられなくなりました。

観葉植物スレイヤー再来!(現行犯)

ランの世界はまさに「沼」です。筆者など、まだまだ、つま先を突っ込んだ程度でしょう。

いつか、ランの種類やそれぞれの特徴についても書きたいと思っています。(需要は少ないかもしれませんが。)

だって、すきなんですもの。

あなたもほんの少し、ランの沼を覗いてみませんか?

参考

GUNA ORCHIDS『SEIDENFADENIA MITRATA』

American Association for the Advancement of Science『Orchids’ dazzling diversity explained』(2015年8月)

Wikipedia『Seidenfadenia』

PMC『OrchidBase 4.0: a database for orchid genomics and molecular biology』(2021年8月)

PMC『Progress in systematics and biogeography of Orchidaceae』(2024年5月)

PMC『Genetic Diversity on a Rare Terrestrial Orchid, Habenaria linearifolia in South Korea: Implications for Conservation Offered by Genome-Wide Single Nucleotide Polymorphisms』(2022年2月)

PMC『Why are orchid flowers so diverse? Reduction of evolutionary constraints by paralogues of class B floral homeotic genes』(2009年1月)

PMC『The MADS and the Beauty: Genes Involved in the Development of Orchid Flowers』(2011年8月)

PMC『OrchidBase 5.0: updates of the orchid genome knowledgebase』(2022年12月)

PMC『Iteration expansion and regional evolution: phylogeography of Dendrobium officinale and four related taxa in southern China』(2017年3月)

PMC『The Complete Plastome Sequences of Four Orchid Species: Insights into the Evolution of the Orchidaceae and the Utility of Plastomic Mutational Hotspots』(2017年6月)

PMC『Speciation across the Earth driven by global cooling in terrestrial orchids』(2023年7月)

PMC『Evolutionary Relationships and Range Evolution of Greenhood Orchids (Subtribe Pterostylidinae): Insights From Plastid Phylogenomics』(2022年6月)

The Royal Society『Orchid phylogenomics and multiple drivers of their extraordinary diversification』(2015年9月)

BBC『Orchid gives up the secrets of its success』(2017年9月)